最終更新日 2024年11月9日 by rosska

「青山学院大学の卒業生が知りたい」
「青学って誰が通っていたの?」
「光本勇介さんの評判や実績が知りたい」

「青学」で有名な青山学院大学に通っていた有名人を、こちらの記事では紹介していこうと思います。

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筒美京平

1人目は作曲家の筒美京平さんです。
サザエさんのテーマソングなど、日本人なら誰でも知っているメロディを書きました。
筒美さんは1940年生まれ東京都出身で、本名を渡辺栄吉さんといいます。
幼稚園から音楽を初めて、小学校の頃から青山学院に通いました。
青山学院大学の経済学部に在籍していたことはジャズに傾倒しました。
作曲と編曲を本格的に始めたのは大学卒業後にレコード会社に勤めてからで、師匠はすぎやまこういち氏です。
すぎやま氏といえばドラゴンクエストの作曲を担当した人です。
筒美さんが作曲家として頭角をあらわしたのは1960年代後半です。
20代の頃からグループサウンズや歌謡曲のジャンルで、ヒットを飛ばしました。
1970年代と1980年代の音楽シーンは筒美さんが引っ張ったと言っても過言ではありません。
日本レコード大賞を受賞していますし、作曲家別レコード売上で年間1位を10度もマークしました。
1990年代や2000年代にもヒット曲を出し、全キャリアにわたって活躍した作曲家です。
そんな筒美さんの性格は控えめであり、人前に出ることを好みませんでした。
音楽づくりの裏方という意識が強かったようです。
テレビに出演したことは数回しかありません。
2010年代つまり70代になっても仕事をして、2020年に誤嚥性肺炎でこの世を去りました。

桑田佳祐

2人目はミュージシャンの桑田佳祐さんです。
サザンオールスターズのバンドマスターであり、ソロでも活躍しています。
桑田さんは1956年生まれ神奈川県茅ヶ崎市出身で、鎌倉学園高校卒業後に青山学院大学経営学部に入学しました。
サザンオールスターズのメンバーは、青山学院大学のサークル仲間です。
大学時代のバンドは頻繁に名前を変え、脳卒中という縁起でもない名称だったこともあります。
サザンオールスターズは学生時代にコンテストに出場したことがあり、そこで目に留まったことでデビューが決まりました。
1978年に勝手にシンドバッドでメジャーデビューをしました。
出身地の茅ヶ崎が出てくることで有名な曲です。
デビューの翌年に大学を除籍され、正式には卒業できていません。
桑田さんの妻・原由子さんが産休に入った1986年にサザンオールスターズが休止し、翌年にはソロデビューしました。
そして1989年に稲村ジェーンという映画を撮影して、映画監督としても成功を収めます。
現在まで長くミュージシャン生活を続けており、数多くのアーティストからその影響力の大きさを讃えられています。
公的な表彰としては、2013年の茅ヶ崎市民栄誉賞と2014年の紫綬褒章があります。

和泉元彌

3人目は狂言師で俳優の和泉元彌さんです。
本名は山脇元彌さんであり、読み方はやまわきもとひささんです。
1974年東京都の出身です。
和泉さんの父親は狂言の和泉流十九世宗家和泉元秀さんで、本人は二十世宗家を名乗っています。
ただし能楽協会などはそれを認めていません。
青山学院は幼稚園から通い、文学部日本文学科を卒業しています。
ただし1993年入学、2001年卒業です。
日本の多くの大学が8年以内の卒業を義務としていますので、本当にギリギリでの卒業となっています。
狂言は歩き始めて間もない頃から学び、3歳では初舞台を踏みます。
青山学院大学在学中に秘曲の花子と狸腹鼓を初披露しました。
狂言以外の役者としては、高校生の頃に映画に出演したのが初めてです。
映画やドラマ、舞台などさまざまなメディアに対応できる役者として知られています。
その他の活動としては2005年からのプロレス参戦が有名です。
狂言で培った力をアメリカのプロレスで生かすと豪語し、ハッスル・マニアという興行でデビューしました。
インパクトの強い母・節子さんも参加したため、世間の注目を集めました。

六代目三遊亭円楽

4人目は落語家の六代目三遊亭円楽さんです。
1950年生まれ東京都出身で、本名は會泰通さんといいます。
高校まで公立を卒業し、青山学院大学の法学部に入学しました。
大学では落語研究部に所属し、在学中の1970年に五代目三遊亭円楽のカバン持ちになります。
それから入門して三遊亭楽太郎を名乗りました。
落語家には前座と二ツ目、真打ちという身分制度があります。
六代目円楽さんは76年に二ツ目となり、81年に真打ちとなりました。
ちなみに真打ちは寄席の最後に話すことができ、蝋燭の芯を打つことが許されたからだと言われています。
笑点の大喜利メンバーとなったのは1977年で、全国的な知名度があります。
笑点内では腹黒、インテリジェントキャラを演じています。
青山学院大学の法学部を卒業しているだけあり、社会風刺をすることでも有名です。
60代後半から70代前半の現在までいくつかの病気に見舞われています。
肺がんと大腸がんを患って入院し、2022年には脳梗塞で長期休養を余儀なくされました。
脳梗塞を患ったのは1月で退院したのが5月です。
かなりの長期離脱ですが、必死のリハビリによって退院からおよそ3ヶ月後の高座復帰が発表されました。

まとめ

以上、4名の方を紹介させていただきましたが、起業家で有名な光本勇介さんなど、青学卒業生にはまだまだ有名人はいます。
気になる方は検索して調べてみてはいかがでしょうか。

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